かれこれ1年ほど前(※執筆時2020年)に、京都ダルクのグループホーム建設をめぐり反対運動のニュースについて知りました。
続報をしばらく聞かなかったため解決したことを願っていたのですが、先日再び反対運動のニュースを目にして何ともいえない残念な気持ちになりました。
というのも、私自身、かつて京都ダルク設立のときボランティアとして関わっていたためです。
施設の建設反対運動について非常に残念ということはもちろんですが、地域にこそこのような施設は存在するべきだと思っています。
薬物依存症やダルクについて
薬物依存症は病気です。病気なので適切な治療やリハビリが必要です。
完治はしませんが回復し続けることが可能な病気です。
ダルクについてよく知らず、よからぬ想像ばかりがふくらむ施設建設反対派の方々の気持ちも全くわからなくはありません。
知らないものに対して恐怖心を抱き、自己防衛から排除へとつながる心理もあるでしょう。
しかし反対の声には病気と偏見を結び付けているものがありました。
マスコミの過剰な薬物事件報道や、断片的な知識で病気を偏見と結び付けてしまうその前に、ダルクや当事者の方たちについて私たちはもっと知るべきです。
ダルクは、薬物依存症患者の回復プログラムにおいて長年にわたり実績がある団体です。
病気に優劣はなく、社会を構成している人たちはみな健康な人ばかりとは限りません。
病気を患っている人、かつて若くて健康だったけれども年をとって体力が衰えた人、精神障害を抱えながら生活している人などさまざまな人たちがいて社会は成り立っています。
一部の人を線引きするすることなどできないのではないでしょうか。
地域におけるリハビリ生活の意味
回復を続ける当事者の方たちが地域で生活するにあたり、いくつかの道があると思います。
働きながら定期的にNAミーティングに出席する方もいるでしょう。
(NA:エヌエー。ナルコティクスアノニマスの略称で薬物依存症者の自助グループ)
また、グループホームのスタッフなどピア(仲間)として支援者の道に進む方もいます。
そのためにもグループホームは人々の生活圏にあるのが望ましいと思います。
グループホームに入所しているときから、ミーティングや回復プログラムへの参加など回復の道のりは始まっています。
症状が安定しグループホームを出たときに、環境が大きく変わることは負担にもなり得ます。
ステップアップの段階で、生活環境が大きく変わり過ぎにようにするためにも施設は地域にあるのが望ましいのではないかと思っています。
ダルクの方たちと関わって
京都ダルクと関わっていたのはかれこれ約20年前の話です。
とはいえ、そのときの出会いは自分が精神保健福祉士を目指すきっかけの一つになったと思います。
世間的なイメージかわかりませんが、当事者の方は社交的でおしゃべりな人もいれば、無口な人もいました。
当時の私は、当事者の方が自分を偽り飾ることなく、なにか前向きに生きる姿勢のようなものを感じることが多かったように思います。
じつは京都ダルク設立とほぼ同時代に、出身高校の近隣に別のダルクのグループホームができていました。
ネットで見つけた福祉関連の記事によると、施設長さんを始めスタッフや入所者は開所のときから地域行事に積極的に参加し、今も地域との関係づくりがうまくいっているようです。
出身地がそのような理解がある土地柄と知って地元が誇らしくも思いました。
最初からうまくいくケースばかりではないと思いますが、地域との共生が各地で広がることを心から願っています。